高校で准看を取ったが看護師になれなかった理由

転職エージェントから「基地内での戦艦の修理」の求人が来る中山@RelCat0204です。

転職活動をする度、必ず数回「今からでも看護師の仕事を始めてみようか」と思うのですが、学校を卒業してもう早15年が経過している…もう流石に無理だと思ってしまうのです。

そこで今回は、私が何故看護師になれなかったのかを徹底的に振り返ってみようと思います。

看護学校に行こうと思っている人、看護師になりたい人はもしかしたら参考になることがあるかもしれません。

スポンサードリンク

私が看護師を目指したのは中学3年のとき

自立するには、看護師だと思った

中学1、2年生の頃は不登校気味でしたが、中3でいきなり勉強の楽しさに目覚めて志望校を考える時期になった頃。

担任の先生も、母も県立高校を勧めました。私も最初はそのつもりで勉強を頑張り、塾の模試の結果を参考にしたり学校のパンフレットを眺めたり。市内の4つある県立高校のうち、2番目くらいの所に入ろうか…と漠然としながらも受験勉強に打ち込みました。

しかし、中三の夏休みに滑り止めのつもりで行ったオープンスクールの私立高校の看護科がいきなり気になり始めました。

高校で准看護師免許の受験資格が取れて、専門学校に2年進めば最短コースで看護師になれるという「進学コース」という進学ルートです。

当時、思春期だった事もあり母とは微妙な距離感を感じていました。早く自立して一人暮らしをしたいとその時から思っていたのです。

それに、高校から進学したとしても看護学校なら学費も安くて済みます。(実際、高校卒業後は国立の専門学校に進んだため授業料は年間50万円程で済みました。)

秋にはそこを推薦で受けることを決めてしまいます。

せっかく塾にも行って県立高校の普通科を目指すと思っていた担任は全力で止めにかかりました。私が希望していた私立高校は偏差値的には低めの高校だったからです。

しかし私の意思は固く母も看護師になること自体は反対ではなかったようで、(私立高校ですが当時うちは母子家庭だったため授業料の補助が出る事もあり)

「クラスで1番になるくらい頑張るなら、行ってもいいよ」と、私の看護科進学を許してくれました。

それでも、卒業までは真面目に勉強していて欲しいとのことでその私立高校は推薦ではなく一般入試で受験しました。ちなみに県立高校は受験しませんでした。

忙しすぎてよく覚えていない高校時代

勉強、実習、バイトに追われる日々

戴帽式の様子

高校に入ると、看護科は男女共学のクラスにも関わらず私の年は女子のみのクラスでした。

教科書や制服にもとてもお金がかかったため、せめて母や当時の担任から言われた「クラスで1番になるくらい頑張れ」の部分だけは頑張ろうと、中学時代はあまりしなかった授業の予習、復習をキッチリするようにしました。(但し看護に関する科目のみ)

看護科の生徒は、2年生に上がると戴帽式でナースキャップを授かり病院実習に出ます。(それまでは三角巾なのですがそれがとてもダサい笑)その際も戴帽テストという謎のテストがあり、ほぼ満点で通過しました。

高三の2学期までクラスで1位を通しました。(専門学校に合格して気が抜けて順位が落ちた)

この学校では戴帽式で答辞を読んだ人が生徒会長になるというこれまた謎な流れがあり、生徒会長になりました。クラスの何人かで立候補したらそうなったのです。元々人見知りをする性格でしたが、この時ばかりは頑張ってみようと思い校内行事での挨拶をかみかみでしていたのを思い出しました。(今思い出しても恥ずかしい)

テストと実習がない日は、Aコープでレジのバイトをしていました。私の実家近くのAコープは19時に閉店するから、放課後から2時間しか働けませんでしたが、携帯代を稼ぐべく真面目にバイト。バイトが終わったら、30分かけて家まで自転車で帰っていました。

人生のうち、一番頑張っていたのは高校時代です。しかし、看護師になりたくて頑張っていたというよりも、学生生活を完璧に行うと言った方が正しい表現になりそうです。

しかし、医学や看護学は自分の身体の事なので純粋に勉強していて楽しかったし、お小遣いで医学の参考書を買うなどして、本気でのめり込んでいました。

私は、看護師として働くのは向いていなかったけど看護学を勉強する事には向いていたんでしょうね。

実習で求められるレベルが上がるほど、それについていけなくなった

実習の記録が雑

看護学生にとって最大の壁とも言える看護実習と日々の記録です。

私は実習中とにかくボーッとしており、当時の記憶があやふや。断片的にこんな処置をしたっけな〜とかは覚えていても、あの患者さんとあんな話をしたな〜とか鮮明に思い出す事が出来ません。高校時代も専門学校時代もです。

このような状態だから、勉強の時はとても楽しいのにいざ実習記録となるとなかなか書けないことが多かったです。

患者の心がわからない事に悩む

一つショックだったのは、専門学校時代の頃に起こった出来事。

浣腸をして便が出るのを待っているのに理学療法士がリハビリを始めてしまい、私も浣腸しているのを忘れて一緒にリハビリに集中してしまったことです。もちろんリハビリ中にオムツから便が漏れ出てきます。慌てる理学療法士にひたすら謝りました。

そして、 その時「私は患者の気持ちに寄り添えない。看護師にならない方がいい」と思うようになりました。

同じ患者さんと、外に出ていても指導看護師に「寒いからそんな所に居させないで」と注意を受けます。私は、寒いと感じなかったし、患者さんに外の空気を吸ってもらうのもいいかと思ったんです。でも、その患者さんは知的障害があるので意思表示がうまく出来ません。

私は、指導看護師から言われて初めて「本当は寒かったのかもしれない」という考えが頭に浮かんだのです。

実習中、頭の回転が明らかにいつもと違って鮮明ではない。心ここにあらずの状態で時間が過ぎていく。幸い事故などなく、記録も提出して受理されていたので学校的には問題はなかったのでしょうが、私が看護師だと、いつか人が死ぬと思っていました。

だんだん実習を休む日が増えて、2年生に進級してしばらくした頃、気がついたら家に帰っており、そのまま実習単位が足りず退学しました。

寝る時間が本当になかった。私にはまず寝る時間が必要だった

高校時代は、どんなに勉強が忙しくても土日で寝だめをしてリカバリーできていました。

しかし専門学校2年生からほぼ毎日看護実習に入るようになり 、リカバリーする時間が取れなくなりました。実習中も授業はあるしテストもあります。実習の記録と合わせて勉強もしなければならない。

あと、当時私は病院の敷地内にある学生寮に住んでいました。2年生に上がってすぐの頃は、入寮したての1年生と同室だったのですが、正直それもストレスだったように思います。後輩はとても優しくていい子でしたが、私自身ゆとりを持って接することができませんでした。

頼るはずの先輩がある日突然黙っていなくなってしまったんですから、彼女には本当に申し訳ないことをしました。

今、当時の私に何か声を掛けられるなら

正直、高校進学の際普通科に進まなかったことで、専門学校中退後就職で苦労はしました。

例えば、就職面接で辞めた理由を突っ込まれたり、化学分析の会社で化学の知識が必要になっても高校で習っていないため独学で勉強しなければいけなかったり。

苦労は多かったけれど、高校時代に勉強する楽しさを心から感じられたからこそ、未知の分野の勉強も楽しんでできます。(苦手なままになってしまう分野もあるけど)

なので、私の選択はこれでよかった。

あと、一番になろうとしなくていいんだよ、もっとほどほどでよかったんじゃないの?とも。こればかりは、負けん気が強い私だから言っても聞かないかもしれませんね。

そして、患者の気持ちがわからなくて悩んでいたあの時の私に。

わからなくて、当たり前じゃないか。でも、あの時看護師にならないと決めたから今の私がいるよ。それに、今の私の生活、めっちゃ楽しいから大丈夫よ。

って言いたい。

そして、これから看護師を目指す人に。

看護師の仕事って、命を預かる仕事だし大変なことがたくさんある。でも、色んな仕事がある中で看護師になりたいって気持ちがあるだけで尊敬します。どうか、体を壊さず自分を大切にして、あなたができる看護を磨いてほしい。

自分にはできない事だから、尊敬の気持ちしかありません。

これを見てくれている看護師さん、いつもありがとう。

スポンサードリンク